子どもが生まれて、自分のD N Aを受け継いでいたとしても、絶対的な存在として外せないのは、「母親」です。
逆立ちをしたって、到底、母親には勝てないと私は思っています。
勝てる相手ではありません。
なぜか
10ヶ月中、お腹で育てることでお母さんと「一心同体」だからです。
お母さんの想いを一緒に共有し、お母さんの言葉を、母さんの身体の中で聞きます。体の中で聞く声と生まれてから聞く声。聞こえ方は違っても、お母さんの声だと分かる。それを思うだけでも、子どもは愛おしくなります。
生まれてくる時も母親にとっては劇的です。
生まれてくる子供も出てきやすいように、グルリと出口に向かって大きく回りながら出てきます。出て来やすいように陣痛はあるわけですし、陣痛の休みがなければ、母親の体力は持ちません。
陣痛の痛さなどを経て、母親は子どもを産むのですから、父親はある意味、母と子に「取り残された存在」と言っても過言ではありません。
父親は、「親」になるには、子が生まれた時から相当の努力が必要です。
やり方は、「とにかく、関わる」でしょうか。
・おむつを換える
・抱っこする
・外へ出る時には、進んで子供の世話をする
・お風呂に入れる
・ミルクを作る
・母親のやる仕事とか、父親のやる仕事とかの線引きをしない
・小さき子と関わるのは、当たり前のことであって、特別な行為では無い
・「やっている」という顔はしない
母親も父親も「同じ子供の親である」のだから、ということをいつのときでも忘れないことが必要です。