しつけは、いつから

「しつけは、いつからしたらいいの」と聞かれる。

物事の良し悪しがわかった頃

こちらの言うことが分かり始めてから

三歳になってからでいいんじゃない、小さい頃から「これ、だめ」「あれ、だめ」って言いたくない。

いろいろな考え方があると思うが、私は、「しつけは、生まれてから、すぐ」

と言いたい。なぜなら、生活全般のことがその子の人格形成に関わると考えるからである。

しかも、躾ける人は、「親」である。

  • しつけをどのように捉えるか
  • しつけは、「厳しく」

「厳しい」の中身は、体罰を指すことではない。命に関わる危険なことをした時、物を大事にせずに投げた時など大事なことは、繰り返し、教えることが大切。例えば、動いている扇風機に手を突っ込む、ドアの取手を持たずにドアを閉める、火とか太陽に当たりすぎて熱くなりすぎた物とわからず何にでも手を出す、車道に飛び出す、動物を蹴ったり落ち度がないのに叩いたりするなど。こんな行動については、「次には絶対やらない」と強く言う。叱るときは、あくまでも相手が小さき子であることを忘れてはならない。頭は絶対に叩かない。顔もしかり。背中も呼吸ができなくなる可能性もあるので叩かない。など小さき子は、体が成長している途中なのだから、よく考えなければいけない。

「子どもの骨は、薄すぎてレントゲンでは映らない。」「骨折しているかどうかも、軟骨が映らないからわからない」など医師から言われることがある。小学校に上がる前は、特にそうである。また、どこが痛いとかどのような症状であるかなど、説明できない。

怪我しても痛みは我慢できないので、面倒を見ることがとても困難になる。出来るだけ怪我や病気を回避するためにも、危険なことには手を出さない「しつけは、厳しく」が大事である所以である。

  • 手本は、親

「小さいから、大人は何をやっても良い」

「何もわかっていないから、大丈夫」

これらの理屈は、何も存在しない。小さき子は、何もかも見ている。何もかも手本にしている。何もかも聞いている。

しかも、似てくれない方が良い、と思っていること程、直ぐ身につけてしまう。本当に困ったものである。

私は、小さき子の前では、だらけた姿も見せないようにしていた。

例えば

  • だらけた姿勢はしない

・疲れていても、寝転んで小さき子の相手はしない。

・テレビを見ながら、ゴロゴロしない。私は、テレビはほとんど見なかった。これは、私が目を使うととても疲れて体調が悪くなったから。育児中は、自分自身の生活が子供中心になり、睡眠時間がしっかりとれなくなる。体調を崩さないための工夫でもあった。

  • 言葉遣い(汚い言葉は使わない)

・「〜しましょう」「〜してはダメです」など、一人の子に対する話し方の話し口調で。

・小さき子が相手でも、「シマチョウね」という言葉は絶対使わない。

  • 生活のリズム

・食べる時間、散歩する時間、寝る時間 など大体同じ時刻に近づくように、したい。

・自分が疲れている時には、例え、部屋が汚くても、汚れた食器があったとしても早く寝てしまうことを選択するのもとても賢明な選択である。

・父親として、母親の支えになることも大事なことである。このことについては、別の項目を作ってそこで書きたい。

・自分たちの気持ちや両親の気持ちが一致したら、自分たちの両親を「頼り」にして育児を助けてもらっていい。今は、「どうして」と言うくらい家族の広がりを、繋がりをもてない人が多い。

  疲れたら、預けてリフレッシュしてもいい。ただ、それなりの対価は必要。

  • 挨拶は必ず

・生まれた時から朝起きたら、「おはよう」寝て起きたらまた「よく寝たね」おしめを換える時には、「綺麗、綺麗にしようね」

離乳食が始まったら、本格的に挨拶は始まる。「いただきます」「美味しいね」「にんじん、美味しいね」「もぐもぐ、しっかり噛もうね」散歩に出かけたら、猫ちゃんや犬ちゃんに「こんにちは」の挨拶

・お風呂から出たら「気持ちいいね」「綺麗になったね」

寝る時には、「お休み」など

「いい癖」と言うのは、何回も何回も、繰り返し繰り返し、言い続ける。その行動をやり続けることで身についていくものである。それ以外に身に着くことはないのである。

「ローマは、一日にしてならず」

  • しつけは一貫性を持つ

 あるときは「いいよ」と言い、ある時は「だめ」と言う。それでは、小さき子は混乱する。しつけは一貫性を持たなければいけない。たまには、例外もあるかもしれない、でも例外を続けてはいけないのである。気をつけるべき点である。

 例えば、「約束は、守らなくてはいけない」とよく大人は言う。ここで大事なことは、言った大人も「約束を守る」と言うことである。時にはそうは言ってもどうしても守れない時もあるだろう。そのような時にはどうするか。あれこれ言い訳をせず、小さき子が相手でも謝ることだ。

よく小さき子には、「言い訳なんか聞いていない」と言うことはないだろうか。小さき子が反抗しないことを幸いに、大人は言い続ける。その体験を小さき子にさせ続けるとどうなるか。誰でも、「大人だって、言い訳して謝らないじゃないか。なぜ私にだけ強く言うにか、ずるい。約束は、守らなくてもそんなに大事なことじゃない」という思考を育てていることになる。

小さき子は、小さな大人ではないが、真っ白い純粋な心と脳に正しいことを根気よく、愛情をもって何回も繰り返して接することによって、賢い子に成長する。